★イベントレポート「逗子和奏楽会 お囃子コンサート~聴く能狂言」2018年2月24日(土)開催

レポート_不破様 レポート_三浦様

 

 

 

 

 

 

 

当ホールの情報発信ボランティアによるレポートです。イベントの雰囲気や感想を発信する活動をしています。

 

 なぎさホールでは毎年様々な能舞台を見せてくれているが、今日はお囃子だけを聞くという珍しいコンサート。どんな人が来るのだろう、果たしてどのくらいの人が入るものかといぶかりながら出かけてみた。

 舞台上には能舞台が作られていて、ホールの雰囲気はがらりと一変している。本日はかぶりつきの一等席、席に着いてマスクを外すと何やらしっとりとした香りがする。おそらく大切に手を入れられている舞台の木の香りではないだろうか。箪笥から出したばかりの着物の匂い袋のような、かすかな香りが気持ちを落ち着かせる。

 逗子こども能のメンバーの発表会も兼ねていて、会場は孫や子どもの晴れ姿を楽しみに待つ人々が多い。一曲目は鞍馬天狗。小さな子どもが袴に“はかれて”いるような姿がユーモラスでかわいい。子どもたちはそれぞれ練習の成果を緊張することもなく発揮して見せていた。

 本番のコンサートでは、それぞれの楽器の奏者が楽器の特徴を説明してくれ、能の基本構成などを教えてくれる。おひなさまの五人囃子が能のお囃子のスタイルだということを初めて知った。そして能笛という横笛は、お祭りで使う篠笛とは違ってとても大きな音が出るという。昔は野外で演じていたのでよく聞こえるためにだということ。しかも、本日の笛方、栗林さんの笛は、400~500年前のもので、修理しながらずっと使ってきているというので大変驚いた。その当時の人々が聞いていたのと同じ音を、今聞くことが出来るところも能の醍醐味だと話していた。心して演奏を聞いた。

 当時の楽譜のようなものはあるのかとか、一体どうやって誰がその笛と演奏方法を400年もの間伝えてきたのかとか、もっと知りたいことがいろいろ心に浮かんできた。ほかの楽器も代々伝わるものなのだろうか?

 やはり素人には能のお囃子というものはなじみがないので、奏者が和楽の何処に惹かれるのか、演奏曲のどういうところが難しくて聞きどころだ、などという話もさしはさんでくれるとさらに理解が深まったかな、と思った。

ボランティアライター 不破理江

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 能楽の「お囃子」に焦点を当てたコンサートである。始めに30分程、この日のために一般公募で結成された「囃子方合奏団」(小学生から70代までの男女)と、結成10年目で地元ではおなじみの「逗こども能」が交互に計6曲――演奏、地謡、舞を披露してくれた。

 本格的な能舞台の上で、和装に身を包み、まっすぐ前を見て声を出し、音を奏でる。ぎこちなさはある。しかし、小さい子と年配の方々が並んで、真剣に伝統芸能に取り組む姿に、ジンとくるものを感じた。皆さん、しっかりと演じきった。

 休憩をはさみ、後半はプロの登場である。今回のプログラムは、基本的に能の主役とも言える舞踏はなく、裏方である「謡(うたい)」と「囃子(はやし)」だけにスポットを当てて“聴かせる”。『高砂』や『羽衣』などの有名な演目も取り混ぜ、10の演目から、聴かせどころを切り取って演奏するという趣向だ。

 「お囃子」の楽器は、「笛(能管)」「大鼓」「小鼓」「太鼓」の4種類を4名で演奏する。

 そしてコーラス隊である「地謡」が3名(うち女性が1名)。演目によってこれらの数や組み合わせが変わっていく。「謡」の台詞は耳慣れない古語で、素人の私には意味はさっぱりつかめない。ただ、独特の節回しと、終始一貫した低いトーンの声音が妙に心を落ち着かせてくれる。オペラの圧倒的な歌唱は、時に押し付けがましく感じられるが(あくまでも個人の感想)、我らが能楽は、眠気に誘われるほど“耳心地”が実にいい。

 そして「お囃子」。「ヨーイ」「イヤー」「ヤ」「ハ」の掛け声とともに演奏される4つの和楽器は、どれもただならぬ音を発する。なかでも「笛」。いきなりの高音が空気を切り裂く。羽生結弦選手のフィギュア・フリーは、高らかな「龍笛」の叫びで始まり、鬼気迫る演技が繰り広げられたが、まさに能楽が表現するのは“情念”。例えば、同じ舞踏でも、バレエ音楽の『白鳥の湖』は“情感”が前面に溢れ、好対照である。なんでも、今回使われた「笛」は400~500年位前のものだとか。この世のものではない、古(いにしえ)の日本を感じる時間を過ごした。

ボランティアライター 三浦俊哉