登壇者トーク:セッション2「開館してからのあゆみ」

登壇者:逗子の文学を学び広める会 代表 東海 邦彦 様

セッション2:東海様

最初に少しだけ、ホールができる前の話をさせてください。

当時、観劇やコンサートに使っていたのは、図書館の建物の3階にあった「図書館ホール」でした。昭和46年にできた建物で、エレベーターもなく、急な階段を大きな楽器を担いで上がるのが本当に大変でした。お年寄りが3階まで登るのも一苦労で、設備的にも限界を感じていました。もう一つは、同じ場所にあった市民体育館で、規模は大きく、行事や式典でよく使われていましたが、文化活動を行うには少し違う空間でした。

そんな中、鎌倉や横須賀に立派な芸術館が次々とでき、市民の間にも「逗子にも本格的な文化施設を」という思いが高まっていきました。私も逗子市の文化・教育施設に関する諮問委員会に参加し、専門家や市民と一緒に、どんな施設が本当に必要なのかを話し合いました。最初はいろんな要望がありました。弓道場を作ってほしいとか、女性センターや博物館を、という声もありましたが、最終的には「ホール・ギャラリー・図書館・市民活動施設」という核となる4つの機能に絞り、文化教育ゾーンの基本構想をまとめました。その基本理念が「海と森、光と風、感動と交流のシビックセンターをつくる」。つまり、市民が創造し、感動し、学び、交流する場所をつくろうという合意でした。

計画が進む中では、建物の規模や舞台設備などで多くの議論がありましたが、最終的に今の形にまとまり、2005年6月19日のオープンが決まりました。その準備のために、文化教育ゾーン準備委員会のメンバーから「オープニングイヤー記念事業実行委員会」が立ち上がり、その20人の市民委員を中心に、企画から公演まで、1年間で37もの開館記念事業を実施しました。市民が主体となり、行政とホールスタッフがそれを側面から全力で支える。これは全国的にも珍しい、非常に大胆な取り組みでした。

もちろん、素人の集まりですから、苦労も多く、ぶつかることもありました。でも、みんなで話し合って助け合いながら、一つひとつ形にしていきました。

ちょうどその頃、国でも「文化芸術は市民の権利であり、地域の活性化につながる」という理念のもとに文化芸術振興基本法が制定され、時代の流れも後押ししてくれました。指定管理者制度も始まりましたが、私たちは「まずは自分たちの力でやってみよう」と、市民と行政が一体となって初年度を乗り越えました。

オープニング初日の公演は、小山実稚恵さんのピアノリサイタル。響きが素晴らしく、ご本人も「とても気持ちが良かった」と話してくださいました。ギャラリーでは「逗子と未来展」を開催し、地域のこれまでの歴史と、若い世代の描く未来のまちの姿を展示。夏には子どもフェスティバルやコンサート、演劇など。その後も多彩な催しが続きました。

こうして市民の手で始まったこのホールが、今も続く活動の土台になっていることを、本当に嬉しく思います。支えてくださった皆さんに、心から感謝をしています。

ギャラリー展示「逗子と未来展」の様子

*********************************************************

登壇者:逗子市民劇団なんじゃもんじゃ 代表 石井 昭子 様

セッション2:石井様

私は、オープニング実行委員会の副委員長として、主にホール部門、演劇や古典芸能を担当していました。その中でも特に思い出深いのは、市民と一緒につくった3/25.26に上演したミュージカル「謎の伝言」です。

「一緒にミュージカルを作ろう」というチラシを春先に出したところ、95名の応募があり、そのうち20名が小学生でした。稽古は翌年の3月末まで、約1年にわたって続き、合計42回もの練習を重ねました。小ホールや大ホールだけでなく、学校の体育館などもお借りしながら、とにかく毎回が本番のような日々でした。
スタッフとして動いていたのは、10代から20代の若者8人と、私を含めた40〜50代の女性3人。世代を超えて協力し合い、若者たちの情熱に励まされながら、一緒に作り上げた時間は今でも忘れられません。稽古場を確保する時にはプラザの職員の方にもご協力いただき、本当に感謝しています。当時、オープニング実行委員会ホールづくりの検討会では、座席数や舞台の響き、ピアノをスタインウェイにするかヤマハにするかなど、ハード面の議論が中心でした。 

でも私は、「立派な箱を作るだけじゃなく、市民が何をやりたいのか、何を楽しめるのかが大事なんじゃないか」と思っていました。そこで仲間と相談し、「市民が主役になれるミュージカルをやろう」と決めたんです。最初は無謀にも思えましたが、みんなの力で1年間かけて完成させたあの舞台は、今思い出しても胸が熱くなります。オープニング事業では「なぎさ寄席」も企画しました。のぼり旗は友人の手書き、出演には三亭楽太郎さん(のちの円楽師匠)や浪曲師の国本武春さんなど、多くの方に出演していただきました。浪曲協会に所属する友人のつながりもあって、夢のような顔ぶれが実現しました。逗子の市民は本当に「楽しそうなことならひと肌でもふた肌でも脱ぐ!」という方が多くて、そんな地域の温かさに支えられていたと思います。

また、プロの俳優・風間杜夫さんを招いた演劇「夕空晴れて」も忘れられません。予算も限られていましたが、プロダクションに片っ端から電話して、何とか実現にこぎつけた公演でした。今思えば、よくあんな無茶をやれたなと思います。

そして、私が所属している市民劇団「なんじゃもんじゃ」も、このホールとともに歩んできました。劇団は今年で40周年、ホールが20周年なので、ちょうど半分は旧図書館ホールで、もう半分は、なぎさホールとさざなみホールで活動してきたことになります。そもそも私たちの劇団は、1985年に逗子市社会教育課が主催した「演劇実践講座(6回)」の受講生から生まれたもので、市が蒔いた種が40年間育っていることになります。旧ホールは3階にあり、階段が急で狭く、それでも皆で工夫して上演してきたので、それだけに、新しいホールができた時には、本当に「待ちに待った」という気持ちでした。なぎさホールでの初公演は、井上ひさし作「花よりタンゴ」で、8年前に旧図書館ホールで上演したものを本格的な舞台ではどんな風にやれるかチャレンジし、チラシにも「待望の新ホール公演」と書いたほどです。最後に少しだけ、さざなみホールでの思い出をお話しします。2017年に上演した「コーヒーが冷めないうちに」は、もともと舞台作品として誕生したもので、映画化が決まってからは著作権の関係で上演ができなくなった、いわば“奇跡の公演”でした。しかも、その時、作者の川口俊和さんが実際に会場まで観に来てくださり、後日ブログに「初めて逗子に行った」「海にも行って、神社で桜の木のまな板を買って帰った」と書いてくださったのを見て、とても嬉しかったのを覚えています。

こうして振り返ると、逗子の文化はいつも「市民の手で」つくられてきたんだなと感じます。これからもこのホールで、そんなあたたかい活動が続いていくことを願っています。

旧ホールでのチラシ                   現ホールでの公演チラシ

*********************************************************

登壇者:文化振興基本計画調査・評価委員会 伊藤 裕夫 様

セッション2:伊藤様

私は、30年ほど文化政策の研究や執筆、シンクタンク・大学教員をしてきました。逗子とは縁がなく、ホール開館当時は富山におりましたが、2012年にご縁ができ、週に3〜4日逗子に通って指定管理者制度への移行をお手伝いしました。着任して驚いたのは、文化振興基本計画に載っているはずの事業(たとえば逗子アートフェスティバル等)が動いていないことでした。

まずは止まっている歯車を回すこと、また並行して、指定管理移行のための募集要項や業務基準書を整え、2013年度に募集したところ、応募は7社。どの団体も良案を出してきて、選定資料づくりは骨が折れましたが、公正・透明に進めました。制度面では、この10年ほどの日本の流れを逗子にも取り入れる仕事でもありました。文化芸術振興基本法、2003年の自治法改正で指定管理者制度が可能になりました。

更に2012年の劇場・音楽堂等の活性化に関する法律(劇場法)で、「文化芸術活動を行うための施設と人的体制が構成され、創意と知見をもって実演芸術の公演を企画、実施し、一般に鑑賞させること」という目的が明確になりました。逗子が直営から指定管理へ移るにあたっては、これらを土台に、「行財政改革に資する費用対効果」「公正な選定と民間活力の導入」そして何より「地域の実情に根ざした事業と市民協働」を業務基準書に記しました。直営の良さ(行政責任・市民意思の反映)もありますが、専門人材の継続確保や機動性には限界があります。指定管理に移すことで、文化振興の所管は、まち全体の文化政策に専念し、ホール運営は専門性とスピードを発揮するこの役割分担が重要だと考えました。

「結果として、現在の逗子文化プラザパートナーズは数年間にわたり、私たちが基準に込めた「地域性」「協働」「人材育成」を体現してくれています。制度は人が動く仕組みであり、地域の創造力につなげること、それが、逗子の指定管理移行で私が一番大切にしたことです。

 

 

                               

前のテーマへ  次のテーマへ→

開館20周年記念シンポジウムの先頭へ